kotatsuのお気楽ブログ

気楽に生きていきたい。

視野を広げること

kotatsuです。

早くももうネタ切れ感がしてきたこの頃ですが、書きたいことを書こうと思います。

今回はごくごく当たり前に誰もが通ってきた道ではないかなと思うのですが、今と昔の視野について書いてみようと思います。

 

学生時代の視野がとても狭かった話

学生時代っていうと、学校だけが自分の目の前に広がる世界だと思っていました。

同級生の友達や上級生、先輩や後輩、部活とか委員会とか。

そして先生と家族。

 

SNSが発達していなかったというのもあり、目の前に広がっている世界、知っている世界だけしか知らなかったんですね。

 

あとは自分から世界を知ろうとしなければその先に広がる世界を知ることはできません。

そのきっかけを得られるかどうかが視野を広げられるかどうか、に関わってくるのかなと今にして考えていたところです。

 

僕の場合は本当に身内や友達、学校、部活、後は趣味のゲームや漫画だけが自分の世界でした。

 

視野が狭かった僕はあまりにも無知だった

いまだに無知のままではありますが、当時の僕はもっと無知でした。

勉強をしたら将来の可能性が広がるとか言われても全くピンとこず・・・

単純に、周りの人から評価されるぐらいだろうとかその程度の考えというか、認識でした。

 

勉強をすることを強制されてきたうえ、その先に得られる喜びだったり、自分の夢は存在していなかったのです。

それをまったく知らなかったからですね。

それだけじゃなく、勉強してもできなかったうえ、暴力も振るわれた経験から、勉強はつまらないだけじゃなく、自分の敵として認識していました(笑)

 

まぁ勉強の先に得られるものを知ったところで僕の根幹は変わらないので、勉強を一生懸命したとは思えませんが。。

学生時代のその先とは

大人のことって大人にならないとわからないんですよね。

社会に出たらどういうことを求められて、何をしたらいいのかとか。

そういうの学生時代には全く教えてもらえないわけです。

 

身近な親であれば社会に出ている先輩として聞くことはできても、イメージが全くつかめないというのもあると思います。

 

その当時から視野が広ければ、もっと前から行動は変わっていたと思っています。

 

まとめ

とはいえ、過去のことを言っても仕方ありませんので、今からでも視野を広げていくことが大事かなと思い、今日の記事を書くに至ったという感じですね。

 

今はSNSやインターネットでいろんな人の活動を知ることができます。

 

視野を広げるといっても、自分の興味のある分野だけに絞らなければ、人や分野は滅茶苦茶多いので目が回ってしまうかもしれませんね。

そのためには自分の興味や自分の得意をきちんと知ること。

これが今後の時代を生き抜くために必要ではないかと思います。

 

思ったことをつらつらと書いただけですが、今回はこの辺で。

気楽に生きるとは?

こんにちは。kotatsuです。

世間体とか周りの目を気にして生きてきた僕ですが、最近それを脱出しようとしている今日この頃です。

僕の考えをまとめるために今回の記事を書いていこうかなと思います。

 

目次

 

気にするなと言われても気になるものは気になるんだよ!!

見出しの通りなんですけど、そう思ってないですか?

僕自身が今そう思っているからこそ書いています。

 

家族や友人といった身内の人や世間一般の声。

そういったものに気を取られすぎてはいませんでしょうか。

 

例えば正社員でないといけないとか、結婚はした方がいいだとか・・・ちょっと例に挙げすぎてもキリがないぐらいにあると思うんですよ。

 

こういうの、正直気になりますよね。。。

 

僕自身それを気にして生きてきたからこそ、ITエンジニアにしがみついて会社員として生きてきたわけなのです。

あと会社辞めた時とか、何か挑戦しようと思っているときとかに家族や友人にも話しづらい。

だって誰も肯定してくれないもの。

じゃあやっぱ僕の考えははみ出し者、ドロップアウトしちゃうんだ。みたいな。そんな認められない感覚に陥って挑戦する心もしなびてしまう。

 

そういった承認欲求も誰しもあると思うんですね。

これが難しいところで、人から指さされて見下されたり見世物になるのを怖がるくせに、そういった方面にあこがれるっていうジレンマ。

誰もがうらやむ芸能人やyoutuberだって、みんな最初は何者でもない。

そんなことわかりきってるはずなのに世間一般の声を振り払えずに自分の殻に閉じこもってしまう。

これ、ありませんか?

 

じゃあどうしたらいいんだ

簡単ですよ。

無視すりゃいいんです。

自分の心の声に従って生きていけばいいんです。

ただそれだけ。

 

ただそれだけのはずなのに、これができない人が僕含めきっと多いんじゃないかなと思います。

なので、小さなステップから始めてみるのはどうでしょうか?

 

たとえば会社員をやりながらでも、仕事終わりに時間を作って自分のやりたいことをやるとか、休みの日にやってみるとか。

日々を忙殺されて身動きが取れなければ、その環境を変えるとか。具体的には転職ですかね。労働時間を減らしたりする工夫もできるかもしれないですよね。

 

そうやって小さく日々を変化させていけばいいのではないかと思います。

極端に言ってしまえばいつもの家までの帰り道に少し違った道を通って帰ってみるとか。

まぁこれやってみた時になんも思わなかった僕がいるので、極端すぎる例ですが・・・

 

きっとその先には気楽に生きることができる世界が広がっている

自分の心の声に従って生きられればそれほど気楽なことはないんじゃないかと思ったりするわけですが、たぶんそこにも自分自身への責任が伴います。

 

これから僕自身、そういう実験を繰り返し、トライアンドエラーで生きていこうと思っています。

まぁ取返しがつかなくなることも出てくるんじゃないかと思いますが、もうすでに何個かそういうことも抱えてますので、自分の選んだ選択を正解にしていくしかないと思います。

まとめ

とにかく、周りの声を聞きすぎて自分を押し殺して生きるなら、無視するぐらいの勢いで自分を貫き通す。

これが気楽に生きることではないでしょうか。

自分が苦しいと思うことは苦しいですし、それを押し殺さずに逃げればいいです。

 

逃げたら自分にフィットする場所にたどり着ける可能性が広がるわけですから。

世間の声は聞きすぎず、気楽にいきましょう。

世の中の他人が決めた物差しで生きることの窮屈さとは

kotatsuです。

かつてのコロナ渦のときにニートをしていた僕はそのままずるずる一年を過ごし、うつ病だった心もある程度回復したタイミングだったので、そろそろなんかやらないとヤバイと思い始めるのでした。

 

目次

 

転職(?)活動、開始

当時から僕は会社員には戻りたくないと常々思っていました。

しかし残念ながら食っていけるだけのスキルもコネも当然なく、結局会社員やアルバイトといった雇われの仕事をするしか手っ取り早くお金を得る手段はありませんでした。

誠に遺憾です。

 

ニートしてた一年の間にyoutubeとかもやってみたりしてましたが、続けることができませんでした。

たぶん趣味でやる分には楽しいのだと思うのですが、当時親の目が痛いと勝手に感じていたため全力でできなかったというのが実情です。

とはいえ有り余る時間をポケモンというゲームに費やし、バトルで世界493位にまで上り詰めることはできました。。

 

と、結局世間様の物差し、親からの期待に応えるようにして、転職活動(?)を開始することにしました。

今回はエンジニア特化のインゲートというエージェントサービスを活用させていただき、担当の方には非常に親身になっていただきました。

今後まずは3年を目標に続けること。

そうすればこれまでのズタズタのキャリアは復活しますよと言われ、それを目標にできる会社を探そうとしていたのですが・・・

 

そもそも書類が通らない

 

当然ながら、当時25歳で3回転職して1年離職しているボロボロキャリアの僕を、どこも面接してさえくれませんでした。

そりゃ当然ですわなと思い、半ば就職もあきらめかけたころ、あの大手派遣会社と面接できることになりました。

とんとん拍子で話が進み、いともたやすく就職が決定。

また同じことが繰り返されるのではないかという一抹の不安もありつつ、ようやく肩身の狭い思いをしなくていいという安心も得られたのでした。

 

派遣先は良好・・・?

今回もいろいろな会社に面談にいき、有無を言わさない派遣先が選定されていくことになりました。

ところが今回は社内SEの募集ということだったようで、ちょっとの間の経験が活かせそうなところに決定しました。

いい感じの会社に配属となり、その後数年続けられることになるのでした。

まとめ

結局、ここまで書いていることまでも他人の決めた物差しで生きてきたkotatsuでした。

他人が決めた物差しで生きることというのは、一見ものすごい安心感があると思います。

就職しておけば周りから変な目で見られないだろうとか、信用があるだとか。

結婚しないと一人前じゃないとか(?)、車持つのが当たり前だとか。

こういうまだまだ世に残っている"普通"を生きれば世間体も保てて安心できるとは思います。

 

また、世の中のムーブメント的に、プログラミングを学んで年収上げたり独立して自由に働こうだとか、ブログで稼いで自由になろうだとか、youtubeは熱いだとか。

この混沌渦巻くインターネットの世界ではいろんな他人の物差しが大きな声となっていると思いますが、こういうのにも飛びついていくとか。

 

こういった世間の普通に従って生きていくのも僕はありだとは思います。

安心ですし、僕から見ても信用のできる人だと思えます。

 

ですが、これって長期的な安心は得られないと思うのです。

自分でその道を進むと決めているかどうかで変わっては来ますが、他人の声に従って生きた場合は窮屈すぎてどこかで心が折れそうになると思います。

僕はそれが早かったです(笑)

そうした違和感に気づけるか気づけないかで今後の人生も変わっていくのだろうとも思います。

 

これは他人軸で生きているということになると思うのですが、そうやって生きた場合は自分が心から望んでいない方向へ進むことになると思うので、心がうまく保てなくなると思います。

対して自分軸で生きると自分が心から望むことに対して進めます。

これはいばらの道だったりもしますが、同時に自分の思う方向へ違和感なく進むことができます。

望んだ未来へ進める可能性の塊です。

 

しかしそうやって生きられたら苦労なんてしないよと思います。僕も含めて。

ですが僕はそういう風に生きると決めたので、窮屈な思いもせず、自分らしく楽しく生きていきたいなと思っている所存です。

 

ここに書いていることのどれかひとつでも、誰かの役に立ったらうれしいなと思います。

ありがとうございました。

無職は楽ではなく、とてもつらいものと経験者は語る

コロナ渦の真っただ中、僕は無職でした。

毎日仕事もせず、ネットニュースをひとたび開けばコロナの暗い話題ばかり。

隣人はうるさく、心の休まる場所のない僕は日に日に狂っていきました。

この時期のお話はちょっと暗くなるのですが、そんなん書くのも読むのも気が滅入ると思うので、おちゃらけて行きたいなと思います。

 

目次

 

コロナ×無職=自主的自粛パラダイス

しばらくの間生活するだけのお金は残っていた僕は、コロナ渦を無職で生きていました。

この当時マスクが市場から消え去ったり、転売されたり、外出を控えようという状況でした。

内向的で外に出るのが苦痛なレベルの僕にとっては何にも苦にならない日々でしたが、別にコロナ渦でもないときから冬場はマスクを着けていたい人だったため、マスクが手に入らない状況に怒り狂っていました。

そのため、マスクを節約すべく使いまわしたり、自主的に外出自粛をしていました。(普段と変わらない)

 

そうはいっても一人で暮らしているので食うために買い出しに行かなければなりません。

近所にあった大型商業施設の中にスーパーがあったのですが、その時はスーパー以外の専門店にはシャッターが降りているという状況でした。

これ今思い出すと本当にすごい時期だったなと思います。

 

僕は無職でしたが、こんなコロナ渦の中でもスーパーで働いてくださる店員さんに頭が上がらないなという思いを抱きながら買い物をさせてもらっていました。

自炊したり、たまには出来合いのものを食べたり。

節約しながら食つなぐ日々でした。

 

狂気!一人暮らしヒキニート生活!

自分が始めた一人暮らしを日に日に減っていく貯金残高とにらめっこしながら過ごした僕は、貯金残高と連動して精神をすり減らしていました。

それだけでなく、隣人がうるさいというのも追い打ちをかけてくるので、家でも心が休まらない日々。

趣味のゲームすらやろうという気にならないぐらいに疲弊していきました。

日の光も浴びようとせず、一日中カーテン閉めてた時もあった。(笑)

 

先が見えない、どうしたらいいかわからない、自己否定を続けてふさぎ込む毎日。

控えめに言って辛すぎ!!

 

この時完全にうつ病だったのでしょうね。

メンタルクリニック的なところにも行って一応診断受けたので。。

自分ではそうじゃないと思っていたのかもしれません。

 

完全に壊れてしまってはいましたが、それでも先のことは考えていないわけではありませんでした。

とりあえず今の生活続けるためにバイトでも始めようかぐらいの小さな考えでした。

しかし会社員の給料を知ってしまっていた僕はバイトに前向きになれず、結局行こうとはしませんでした。

 

そうやってふさぎ込んでボロボロだった僕ですが救いがなかったわけではありません。

当時パートナーの家の近くにいたので、ちょこちょこうちに来てくれて、僕を支えてくれていたので、本当に救われたなと思っています。

ここに関しては本当に僕は恵まれていたというか、運がよかったなと今も感謝しています。

 

ですが当然、こんな生活はすぐに終わることになります。

 

ついに貯金がなくなった

貯金が減ってきていたので、生活を維持できなくなった僕は実家へ戻らせてもらうことにしました。

本当は実家には帰りたくなかったのですが、そうはいっても仕方がありません。

自分の状況がよくなることもなかったし、しぶしぶ帰りました。

 

なんとそこから僕は1年ぐらいニート生活をしていたのです。

1年です。

本当に家族には感謝しかない。

 

それはつまり1年もの間立ち直れなかった、心がぶっ壊れてしまっていたということなのです。

 

この1年間は自己啓発書を読んだり、とにかく好きなことをしたり、運動してみたりと、心の回復に専念することにしました。

そこで僕がようやく気付いたのは、僕は一人暮らしには向いていなかったということです。

 

どうも頑張りすぎてしまう性質があるようで、一人暮らしだとあれもこれも全部自分でやらなくてはならない。その上に仕事もやらないといけないとなると、もうキャパシティオーバーしてしまうということだったのです。

 

これ、世の中のほとんどの人が当たり前にやっている普通のことだと言われてると思います。

でもやってる人、スゴいですよ。

たまには肩の力を抜いて休んだ方がいいんじゃないかと心配になります。

 

まとめ

これまとまりきるのか?

そしてあまり明るくもなっていない・・・。

 

結論、僕はこの無職生活を通じて学んだことがあります。

人によって辛さを感じる尺度は違います。

その人が抱える辛さはその人だけのものです。

ほかの人にわかることは難しいと思います。

でもわかろうとすることならできると思いませんか。

 

もし周りにつらそうな人がいたら話を聞いてあげてみてください。

もしかしたらそれはその人にとっての大きな救いになるかもしれません。

 

こんな記事書いてしまって、僕も辛いと思うことを手放したいし、もっと気楽に生きていきたいなと思いなおしました。。

これから気楽に生きていくことを体現して、周りの人にも伝播させられるようにしたいと思います。

ありがとうございました。

心が苦しいときは立ち止まってもいいというお話。

kotatsuです。

今回は僕の心がつぶれたお話になります。

転職して社内SEになった僕のお話です。

 

目次

 

通勤時間は2時間弱。社内SE時代

さて、転職に成功した僕は劣悪な環境から抜け出せたはいいものの、見出しの通りとんでもない通勤時間をかけて会社に通っていました。

朝はとにかく睡眠時間を確保すること。

絶対に電車の席に座って眠っておかなければ通勤だけで体力を奪われてしまいます。

ここからすでに仕事は始まっていました。

とはいえ幸いというべきでもないですが、ほぼ駅の始発駅から終点までを移動しなければならなかったので、人の乗り降りが激しく、なんとか座れるぐらいでした。

 

そしてたどり着く会社はゴリゴリの営業会社。

キレイで広いオフィスはビルの結構高いところでした。(何階か忘れた)

なんかキラキラしたというか、陽キャというか、そんな人達が集う会社で、陰キャの僕は近づくだけで拒否反応を示してしまいそうでした。

 

そんな会社でしたが、社内SEの人たちは個性豊かで優しく、陽キャって感じでもなかったのでなんとかなじめそうだと思い、胸をなでおろす僕だったのです。

引っ越し!一人暮らし再び

実家からここまで通うのに2時間はさすがにキツすぎる・・・

というのは当初からあったのと、再び一人暮らしをするのもありだなと考えていた僕はパートナーの家の近くに引っ越すことにしました。

休みの日を使って何度か内見に通い、ここだ!というお部屋を発見。

しかし、ここで僕にとっては耐え難い事件がありました。。

 

隣人の夜の嬌声が筒抜けだったのです。

昼間はテレビとか音楽の音が鳴り響くため、一人の時間を大切にしたい僕にとっては耐え難い苦痛でした。

当時勉強不足だった僕はその部屋の貸し出し情報をよく見ておらず、鉄骨造だったということを後で認識し、鉄筋コンクリートじゃないと隣人の生活音は防ぎにくいということを後で知ることになりました。

お部屋探しをする人で家で過ごす時間が大切な人はここを妥協すると痛い目に合うということですね。。。

 

で、僕はどうしたのかというとまた引っ越しました。

 

幸い実家暮らし会社員のときにためていたお金があったので引っ越すことはなんら問題なかったです。

手痛いですが勉強代だったと思い、今度は鉄筋コンクリート造の部屋に引っ越すことにしました。

しかし、この引っ越した先も壁が薄く、隣人が深夜にどんちゃん騒ぎをしており、苦しい日々は結局続いたのですが・・・

もう引っ越すお金の余裕もないし、あきらめることにしました。

少なくとも前の部屋よりはまだマシ・・・でもないけどマシと言わざるを得ませんでした。

 

心が壊れ始めるkotatsu

家で騒音に悩まされ、会社は会社で仕事が苦しく、覚えることもたくさんあったり難しい仕事を任されたら残業してでも片付けるそんな日々。

どんどん心の余裕がなくなっていきました。

状態が悪くなっていく僕はとうとう上司にかっとなってしまい、強い言葉を使ってしまったこともあります。

 

会社のエレベーターで滅茶苦茶不機嫌そうな人がいた時があり、僕が乗ろうとすると舌打ちするばかりか、ボタンを連打して僕を睨みつけてきました。

あの人のように心に余裕がなくなってしまうと、人は他人に優しくなどできないと、そう思っていたのに、自分がそうなってしまった。

 

毎日毎日頑張っても頑張っても先が見えない日々。

仕事は難しくて苦しく、家では安らぎを得られない。

逃げ場を失い、何のために頑張るのかもわからなくなりました。

 

僕はそれから会社に行けなくなりました。

転職してからおよそ半年ほどの出来事です。

 

僕は上司とこれからどうするのかという話もさせてもらいました。

僕は結局仕事を辞めることを決断しました。

本当に良い方だったのですが、僕の状態が悪かったために本当に申し訳ないことをしたなと今は思っています。

 

こうして、3社目の転職先は一年も持たず、半年で辞めてしまうこととなりました。

 

まとめ

そんなわけで僕はしばらく休むことにしました。

まぁそのあとすぐにコロナ渦が始まることになって結局自主的に自粛生活をすることになったのですが。。

頑張って頑張って生きてきたからこそ、ガス欠になってしまったと今はそう思います。

 

この出来事から僕は人間、心に余裕がなくなったり苦しいときは、自分が今そう思っているということを認識しなければならないと思いました。

 

自分の心の悲鳴に敏感になる。

そして立ち止まること。

立ち止まっても大丈夫です。

第一に考えるべきは自分の心だと、僕は思うからです。

 

でも立ち止まれない人もいるかもしれません。

周りに頼れない人もいるかもしれません。

そうやって頑張っている人に伝えてあげたいと思います。

 

苦しい状況からは逃げていいんです。

目を背けてもいいのです。

今のその場所があなたにとって苦しいのなら、そこで頑張っても苦しいだけなのですから。

逃げて、逃げた先に自分が自分らしく、余裕をもって気楽に生きられる世界がきっとあります。

 

視野が狭くなってしまっていませんか?

世界は広いです。

いろんな場所があるからこそ、あなたにフィットした場所があると思うのです。

 

僕も絶賛探し中ではあるのですが、自分が自分らしく気楽に、やりたいことをやれる、そんな環境を探し続けて行動しています。

 

と、かなり長くなってしまいましたが、僕が言いたいのは心の余裕がなくなってきたときは一度立ち止まってもいい。というお話でした。

ありがとうございました。

自分の気持ちに素直になって生きよう。~とあるクズ会社員(kotatsu)の話~

こんにちは。kotatsuです。

前回、かつてブログアフィリエイトをやっていた時のお話を書かせていただきました。

この後の僕の会社員としてのクズっぷりを赤裸々に描いていこうと思います。

このお話から、ちょっと気楽になれるようなお話をできたらなと思います。

 

目次

 

ブログを辞めても仕事は続く

会社員からの解放、自由への片道切符・・・!

そんな夢にあこがれて始めたはずのブログでしたが、それを2か月程度で辞めた僕に待っていたのはただただ退屈な会社員生活の続きでした。

この時の僕はとにかく次はどうしよう、会社員を辞めるためにはどんな行動をすればいい?と焦っていました。

とにかく生き急いでいたのを覚えています。20代のうちに自由な生活を夢見ていたので。。

 

しかしまったく見つからずにただただ日々が流れていくだけ・・・。

今の職場に疲れた僕は派遣元の会社の営業さんにゴネて、仕事先を変えてくれと言いました。

なんとか、次の職場へ向かうことが決まり、新しい気持ちで向かうことになりました。

 

次の職場へ

結論から言うと最初から最悪の気分での仕事場でした。

まずオフィスは古く、あまりきれいではありませんでした。

そして見渡す限りの机の島々。そこにすし詰めの会社員たち。

 

案内された自席にて小さなノートパソコンを支給されました。

画面は小さいし、席と椅子が合わずにとても窮屈で姿勢に疲れていました。

 

そこに追い打ちをかけるように、事件は起こりました。

机の引き出しを開けると中にはびっしりと短い人間の毛が詰まっていたのです・・・

これマジでドン引きした事件ですね。このファーストインパクトで気持ち悪くてこんなところにいたくないと思いました。。

 

それだけで終わればよかったのですが、仕事内容も本当によくわからない退屈なものでした。

 

こんな最悪の職場で働くことになって思ったのは一分一秒もこんなところにいたくないということでした。

 

どんどんクズになっていく

実は前の職場のときからだったのですが、本当に行きたくなさ過ぎて朝は布団にうずくまって会社に体調不良と連絡して休むことが多々ありました。

一応律儀に連絡だけはしておくのは、連絡が取れないと方々から怒られるのを知っていたからです(つまり経験済み。)。

 

この時僕は実家に住んでいたので、両親からの圧もすごかったです。

なんでサボるねんみたいな、呆れというか、怒りというか。

家にいるとめちゃくちゃ気まずくなるというのが嫌でした。

そんな僕はスーパークズ発想を思いつきます。

 

\\仕事時間中ネカフェ行ったったらええやん!!//

 

これを結構使うようになりました。

会社とは逆方向の電車に乗り、ネカフェのある街へ向かう。

会社には連絡が付くタイミングで電話し、そのあとスーツ姿のままネカフェにチェックイン。

一日中ネットサーフィンとか、ブログのような副業を探したりととにかく現実逃避に走っていました。

今思い返すと本当にヤバい奴過ぎて若干引いてきました(笑)

 

会社のサボり方はこのように大胆なものや、普通に有給を使ったりなど、とにかく逆の意味で行動派でした。

 

それだけでなく、僕は会社に行っても業務が詰まらな過ぎて寝てました。

なんかもう、パソコンの画面見てても全然つまらないし、誰とも会話しないものですから、こっくりこっくりと睡魔が僕を蝕むわけですね。

これ、普通にバレてました。

トイレに立ったり散歩しにいったりとかで工夫は凝らすものの、やっぱり睡魔には抗えなかったので。

 

バレてどうなったかというと、君ヤバいっすよって感じで注意を受け、派遣元にも怒られるという二重苦。

そんなこと言っても眠いもんは眠い!!!

抗えるものなら抗って見せよと僕は言いたかった。

 

そして転職へ・・・

この職場での毎日は前の職場での毎日よりもつらいものがありました。

話す人も上司的な人しかいない(その人はその派遣先に派遣されている派遣社員

業務は目的のぱっとしないエクセルのマクロツールの作成ばかり。

一番キツかったのはやっぱり職場環境というのもありましたが・・・

 

僕はまたしても転職を決意しました。

次はリクルートエージェントさんを活用し、転職相談を受けてもらうことに。

ここで紹介された社内SEという仕事を重点的に探していくことになりました。

 

ほかにもレバテック、ワークポートといった転職サービスを活用しましたが、この二社で出会ったアドバイザーさんは相性が悪く、また僕の経験の浅さもあっていい仕事と巡り合えませんでした。

 

会社員を続けながら転職活動もやる日々。

ブログ100記事書いてた時期に比べれば余裕でした。

 

こうして、会社はサボりつつも頑張って転職活動を続けてなんとか社内SEとして拾ってもらえることが確定しました。

 

辞めるときにも怒られる人。

最後の最後まで勤務態度が悪く勤怠も悪い僕は、派遣元会社に怒られながら退職することになりました。

これ今思うこととしては、怒られるのはわかるぐらいヤバいことしてたのは分かりますよ?

でも君らがやってる派遣業ってとにかくお金のためやん?

とにかくごり押し営業して派遣先からお金を、派遣する人から労働を搾取するために、その派遣する人と職場が合うかどうかも全く考えずに営業しますやん?

そんなん続くはずないて。

 

・・・ちょっと愚痴になってしまいました。

でもこれで晴れて、僕は嫌な会社から逃げ出すことができることになったのです。

 

まとめ

今回も長くなりましたが、いかがですか?

こんな不真面目でクズの腐ったような会社員もいたんですよ!!

僕みたいなもんに比べたらみんな真面目に生きていらっしゃると思いますよ。

 

つまり何が言いたいのかというと、あ、こんなヤバい奴でも生きれるんだ。

もっと気楽に生きても罰は当たらんよね。

っていうことです。

 

もっとみんな寛容に生きればいいと思うんです。

自分の気持ちに素直になる。

自分の気持ちを殺して生きたって辛いだけですよ。

 

なので、過去の僕を見下してみんな気楽に生きてください(笑)

というお話でした。

ブログアフィリエイトをしようとした話から振り返る自分らしく生きることについて

ITエンジニアをやっていたkotatsuはとにかく仕事が嫌だった。

そんな彼は自由な生活にあこがれ、ブロガーを目指すのであった・・・。

 

目次

 

転職編~他責思考は受からない~

kotatsuは新卒で入った会社を1年で辞め、その後しばらく実家でニートをしていました。

このままではよくないと思い至ったため、転職エージェントを活用して転職活動を開始。

この当時、僕はとにかく他責思考でした。

・派遣のエンジニアは自分の思った通りの案件に携われない→会社が悪い

・案件を転々としていてはスキルが身につかない→会社が悪い

と、努力してないのに自分を棚に上げて環境のせいにばかりしていました。

 

事実として、派遣会社は人を会社に貸せばお金がもらえるというビジネスモデルですから、一刻も早く現場に出てもらう必要があります。

そのため、案件のミスマッチが起こりやすいというのも現実としてあると思います。

この点は派遣会社よくないなって思う部分ではありますが、その会社に入ることを選んだのは自分です

そこを会社だけが悪いというのは違いましたし、自分がほかに動けることもあったかもしれません。

 

なので、内定はなかなか出ずに転職活動は難航していました。

しかしなんとか、なんとか自分でも拾ってくれる派遣会社がありましたので、もう転職活動をしたくないと思っていたkotatsuは、安易にその会社に飛び込むのでした。

 

エンジニアリターンズ編~社内ニート

kotatsuは再びエンジニアとしてのキャリアを再開しました。

しかし派遣された工場の現場では、ほとんど仕事が属人化しており、下っ端の僕に振れる仕事がないということ。

僕はしばらくの間、会社に行って仕事もせずにネットサーフィンをする毎日でした。

朝早く眠い目をこすりながら電車で出勤し、広い工場内を30分歩いてようやくたどり着く職場。

工場の正門に次々と吸い込まれていくような会社員たちの中に、僕もいるのかと思うととても息が詰まりそうでした。

 

行ってもやることもない会社にわざわざ拘束されに行って、ただ時間が過ぎるのを待つばかり。

こんな毎日に本当に嫌気がさし、僕は自分で何かできないかと行動し始めました。

 

ネットの海をさまよい出会ったのはブログアフィリエイトだったのです。

 

弟子入り志願!会社員ブロガーを目指して

このうだつが上がらない生活を脱却したい!自由になりたい!

そう思って僕はブログで収益を上げている人のメルマガに登録しまくり、いろんなブロガーのマインドを学んでいこうとしました。

我流でGoogleAdSenseの審査に通り、よっしゃこれからやったるで!!と思っていましたが、次どうしたらいいかわからない・・・。

これではらちが明かない。

結果出してる人に弟子入りしたらええやん!!

そう思ってコンサルをやっている人からコンサルを受けることにしました。

 

コンサルの先生「kotatsu君、人生変えたいよね?」

kotatsu「変えたいです・・・!」

コンサルの先生「じゃあまずは100記事書こうね

 

それからの毎日は本当に大変でした。

当時貯金もそんなにない自分が、高いお金を払って自己投資。やらなきゃならない状況を作り出し、自らを追い込んでいきました。

追い込むためになんと、1か月で100記事書くという今考えると異常な目標を立てました。

コンサルのコミュニティ内では僕のこの目標を一緒にやろうというグループが立ち上がり、僕を筆頭にみんなの士気が上がりました。(たぶん)

 

会社は続けながら、帰ったら一目散にPCの前に座る。

当時やっていたのは会社系のネガティブなキーワードをもとに、転職サイトやサプリメントを訴求するいわゆる特化ブログでした。

 

当時は会社員としての経験も浅く、そんなに書けることもなかったのですが、とにかく同じようなネタをこすって粗製乱造しつつも、一記事1000文字以上は必ず書いて毎日3本ずつ記事を投稿していきました。

 

のちに僕は一か月後、この目標を達成します。

やり遂げた・・・!

この時僕はめっちゃうれしかったのを覚えています。

コミュニティの人や先生にも褒められ、舞い上がっていました。

 

しかし、それもつかの間、現実はそう甘くはありませんでした。

僕のブログは全く伸びなかったのです。

 

どこがよくないのか先生にも見てもらいつつ、ちょっとずつでもブログを更新していく日々。どんどん勢いがなくなっていきます。

 

ブログ燃え尽き症候群

そのうちに、自分は燃え尽きてしまっており、特化ブログの記事も書けなくなっていきました。そんな時にコンサルの先生から提案がありました。

 

コンサルの先生「うーん、やっぱり稼げるイメージって大事だし、一回トレンドブログやってみよっか」

kotatsu「わかりました」

 

ここからが地獄でした・・・。

トレンドブログはニュースで話題になった人やモノ、事のキーワードを使って記事を作り、検索需要が爆発したときにトップに躍り出てアクセス数を稼ぐブログのこと。

これほどつまらないものはありませんでした。

やっていることはくだらない週刊誌の真似事で、いわばカルピスの希釈をさらに希釈した薄っぺらい記事を頑張って書くというもの。

yahooニュースにへばりついて新しいニュースが出たら伸びそうな記事からキーワードを取り出し、そのキーワードをちりばめて記事を書いて・・・

 

僕はやる気を失いました。

コンサルの先生にも辞めますと伝え、すっぱりとブログアフィリエイトの道から去りました。

 

こうして結局、どこへも羽ばたくことができずに会社という檻の中に閉じ込められたまま、僕はどんどんダメになっていくのでした。

 

まとめ

ある意味、この経験が今のこのブログの糧となってると思うので、結果オーライかなと思います(笑)

この記事で言いたいことは、自分の責任は自分でとるということ。

ちょっと気楽とは程遠いかもしれないのですが、気楽に生きるためには自分に責任は持つ必要があると思います。

他責ばかりしていては気楽に生きることは難しくなると思います。

僕が言う気楽とは、自分の道を自分らしく幸せに歩くことだと思っていますので・・・!

 

でも、思いつめすぎるのもよくないと思っていて、僕のブログの件のように環境がその時のあなたにとって合っていないときもあると思います。

そんなときは逃げるのがよいです。

逃げることは悪いことではありません。自分に適した環境を探しに行けるチャンスです。

そこまで深刻にならず、気楽に行けばいいと思っています。

逃げた先で自分が納得できる道を探しましょう。

 

というわけで今回はこれにて!